そのさきの庭







 時々だが、堂島家の食卓は3人から4人になる。
 部下の食生活を見かねた叔父が、時間が合えば足立を連れてくるからだ。孝介が堂島家に早く馴染んだように、足立が食卓に加わる風景もすぐに当たり前になった。
 だから、遅い時間まで居間でくつろぐ足立を見ても疑問には思わなくなっていた。
 叔父は菜々子を寝かしつけに行った。どうやらまた本を読む約束をしていたらしい。いいお父さんですねぇ〜、なんて笑う足立に見送られて、叔父は少し恥ずかしそうだった。
「あ、ねぇねぇ、このCMの女の子知ってる? こないだ週刊誌読んでたらさー…」
 足立は饒舌だ。
 仕事の内容を漏らすこともあれば、こうした世間話もこちらが止めなければ延々と話していそうな雰囲気だ。それに相槌を打つ。話の続きを促すように問えば、足立は嬉しそうに薀蓄を語った。
 時々、叔父にうるさいなどと言われているが、孝介は足立の話を聞くのが好きだった。年上なのに気を使わなくていい、そんな安心感がどこかにあったし、何より、今追いかけている事件とは関係ない話題でこちらを満たしてくれるのが心地よいのかもしれない。
 テレビを見ながら、映っているタレントやCMの商品などについてたわいのない会話が続く。叔父は戻ってこない。
 やがて、最近話題のドラマがテレビに映し出された。
 ベタな青春物語だったが、その古臭さが受けて視聴率が上がっているらしい。特に毎週見ているわけではなかったが、足立はそうでもなかったらしく、このドラマのどこが見どころかなど、あらすじを語って聞かせてくれた。どうやら毎回見ているようで、ヒロインの女の子の可愛らしさをこんこんと語られた。
「あーあ、僕が高校生の時にこーんなに可愛い女の子と過ごしてたらなぁ」
 うらやましそうに呟く足立の横顔を眺める。不貞腐れたような表情はとても子供っぽいと思った。
「そうだ! 君なんかはこのドラマなんかなんてことないだろ? なんたって現役アイドルのりせちーがいるもんねぇ。いいなぁ、君。成績優秀スポーツ万能でかわいい女の子との高校生活! 楽しくって仕方ないんじゃない?」
 いいや、楽しいに決まってる! そう大げさに告げた足立に孝介は苦笑した。
 確かに稲羽市に来てからの高校生活は楽しかった。今まで過ごしてきた場所が楽しくなかったわけではなかったが、ここの暮らしはとても居心地が良い。たとえ、陰惨な事件に巻き込まれていようとも、それに立ち向かえるだけの勇気と希望を仲間たちから与えられているし、楽しいこと嬉しいことを仲間だけでなく、堂島家や学校の友人達、街のいろいろな人々から受け取っていると思っている。だからこの楽しい生活には、目の前にいるこの頼りなげな刑事も含まれていた。
 それを、ちょっと照れくさいことだが、伝えたらこの人はどんな顔をするだろう。いつものようにくしゃっと顔を崩して笑ってくれるのを想像して口を開いた。
「確かに学校生活は楽しいです。でも、学校だけじゃくて、こうして足立さんと話しているのも、俺が今楽しい生活をおくっている中の一部なんですよ」
 うまく言えただろうか。ちょっとした照れくささに目を逸らしそうになるのをぐっとこらえ、足立の反応を待った。
 それは一瞬のことだった。
 さっと色を失う表情。でも、無表情ではない不思議な表情。
「や、やだなぁ、君はもうー。そう言うのは女の子に言ってあげなよ。僕みたいなのにいっても仕方ないでしょー」
 はっとした瞬間、いつものように笑って足立が言った。孝介がどこか釈然としない気持ちに惑わされている間も、君ぐらいかっこいいとそんなセリフも絵になるねぇなどと続けて笑っている。今のはなんだ、と思考しようとするのを足立の声が遮る。
 足立に何かを言わなければ、そう思って口を開きかけたとき、居間の襖が開いた。
「何だ足立。まだいたのか」
 叔父があきれたと言いたげな様子で居間に入ってきた。どうやら無事に菜々子に寝る前の約束を果たせたらしい。
「僕が堂島さんに挨拶もしないで変えるわけないじゃないですかー! ひどいなぁもう」
「よく言うもんだ。俺がちょっと席を立ったときに帰ったこともあっただろう」
「あれぇ? そうでしたっけ?」
 孝介はいつの間にか開きかけた口を無意識にきゅっと引き締め、二人の会話を見守っていた。
 足立は叔父と二、三言話すとよいしょと言いながら腰を上げた。どうやらもう帰るようだ。追い立てるようなことを言っていた叔父が、先ほどとは逆にもうちょっとゆっくりしていけなどと言っているが足立は笑って断っていた。
「どうした、孝介?」
 ふと叔父が黙ったままの孝介に気が付き声をかけてきた。つい、心在らずになってしまったことを取り繕うように、とっさに笑みを浮かべてなんでもないと言う。ああ、今のは良くない、そう思ったが、叔父は気がつかなかったようだ。
「じゃあね、君もおやすみ」
 叔父と一緒に玄関先まで足立を見送るとそう言われた。その顔にさっき垣間見た顔が重なって見えた気がした。
 何か。
 何か言わねば。そう思ったが、玄関の扉はすぐに足立によって閉められた。叔父はさっと身を翻して居間へと戻り、孝介はしばしそこに取り残された。
 足立が忘れ物でもして戻ってこないかなどど考えたが、そんなことはありえなかった。例え忘れ物をしても彼は取りに戻ってきたことがなかったし、次に日に叔父が届ければそれで事足りてしまうと知っていたから。
 何故かが置いて行かれた気分になる。
 そうだ。
 さっきから引っかかっていた足立の表情を思い出す。あれは迷子の、迷子になった子が自分が迷子だと気づき、不安に泣き出す直前の顔に似ているのだ。小さい頃、街で迷子になり、ショーウィンドウに映った一人ぼっちの自分に気づいてしまった時の、あの時の自分の目に映った己の姿と先程の足立が綺麗に重なった。
 だが、何故。
 何故、そんなものが彼の顔に現れたのか。
 また、小さな引っ掛かりを覚えて、孝介はようやく居間へと戻った。
 それから叔父と話をして、自室に戻り、次の日になる頃にはそんな疑問も消えてしまったが、何かの折に思い出す、そんな予感がしていた。




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あとがき(反転)≫ありがとなことを書いてしまいました。こういうきっかけから書き出さないと、最後に到るまでが書けないのです…。